活動報告

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第57回勉強会報告「難民緊急救援活動を行うスタッフの日常を振り返る-2000年のコソボ」

11月16日の勉強会は、関西医科大学看護学部教授の近藤麻理さんにお話いただきました。

 

ニュースなどでかなり耳にした「コソボ紛争」。でも、位置関係も何がどうして起こったのか、残念ながら覚えていない人も多いのではない

でしょうか。

 

かつてユーゴスラビアという国があったのですが、まず位置関係と背景から説明していただきました。ユーゴスラビア(旧)からスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナなどが独立していく中、セルビアの自治州とされていたコソボにはゆるやかなムスリムであるアルバニア

系住民が多く、セルビア系とアルバニア系の対立があったそうです。1998年から99年にかけて、ユーゴスラビア軍およびセルビア人勢力とコソボの独立を求める解放軍の戦闘が激化しました。その和平案をユーゴスラビア大統領のミロショビッチが拒否したことで、今度は1999年3月24日からNATO軍によるがセルビア系空爆がはじまりました。6月10日に空爆が停止された時は、アルバニア、マケドニア、モンテネグロなどに流出した双方の難民は200万人にのぼったとのことです。

近藤さんは日本のNGOであるAMDAからの派遣で、1999年6月にイタリア経由でアルバニアに入り活動を開始しました。主な活動は、アルバニアでの難民を対象とした移動診療活動、コソボのプリズレン県での診療所活動、現地プロジェクトの立案などでした。活動は近藤さんと現地の通訳、運転手がチームとなり、診療などは現地の医師をリクルートして行いました。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)など国連機関や、緊急援助に入っていた各国軍との調整、また日本からの短期支援者の受け入れや視察者への情報提供など業務は多岐に渡ったようです。また、活動中に網膜芽細胞腫(眼底の腫瘍)の3歳の男の子を見つけ、日本への治療移送も行なっています。

 

政治的にも宗教的にも微妙な状況の中で、近藤さんならではの政治的センス、バランス感覚と調整能力あってこその活動だったと感じました。そんな近藤さんが当時を振り返って、緊急活動に提案することは、日常生活の衣食住を記録しておくこと。非日常の現場では、食料調達、トイレ、通信手段、国境の越え方、野原の歩き方(万が一地雷を踏んだかもしれない時の対処のしかた!)など、はじめてのことだらけ。引き継ぐ人、また別のところで同じような活動をする人のために貴重な情報になるとのことです。また、働きすぎず、休暇は十分とり、困難な状況の中でも楽しみを見つけること、だそうです。

 

見せていただいた写真には美しい風景がありましたが、そこで、その直前に戦争が起こっていたことには心が痛みます。

 

貴重なお話をありがとうございました。

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